曽我梅まつり

2月の平日に湯河原へ行ったのでせっかくだからどこかで梅を見ようと思ったのだが、14日は天気が悪かったので翌日持ち越しに。そして今日は晴れたので曽我梅林へ行ってきた。
実際は湯河原近辺には曽我梅林、湯河原梅林、熱海梅林と有名な梅林が3つあってどこに行くか考えたのだが、湯河原梅林はバスが目の前で出ていったので曽我と熱海に絞られ、電車が先に来たという理由で曽我梅林へ。

御殿場線下曽我


国府津御殿場線に乗り換え、1駅で曽我梅林の最寄り駅・下曽我に到着。以前、松田まで河津桜を見に行ったとき*1もそうだったのだが、やはり中高年の乗降が目立つ。平日なのでなおさら。


下曽我駅に着いたら駅前の下曽我郵便局で旅行貯金をしてから梅林に向かうのだが、曽我梅林というのは別所梅林、原梅林、中河原梅林の3つに分かれていたのでどこか1ヶ所に決めようと思い地図を見て、宗我神社と合わせて回れそうな中河原梅林に行くことに決定。

梅まつり会場へ




中河原梅林へ向かう途中に見晴し台という看板が見えたので、どのような眺めなのか気になって行ってみる。相当な急斜面を登って水道局の給水タンクの入り口に着いたところにある急階段を上ったところが見晴し台。


この時はいくらか雲がかかっていたのだが、天気がよければ左に相模湾、右に箱根、その先には富士山が望めるんだろうな。
それから急斜面を下りて道なりに進むと梅まつりの会場の1つ、中河原会場が見えてきた。





といっても常設の直売所があるだけで売店やステージは早々と撤収してた。もしくは平日なので営業していなかったか。

こんなところに蛇口をつけるな!







梅を撮っているといつの間にか踏切を渡っていて会場を出て別の梅林に向かっていた。ここの梅は鑑賞用ではなく梅の実を採るための梅林がほとんど。なので梅まつりの会場以外にもいたる所で梅林を見かける。

下曽我の史跡を歩く







中河原会場に戻ってさらに写真を撮って、由緒ある曽我岸の石地蔵にお参り。


それからこの地域の総鎮守・宗我神社へ。


ここは仇討ちで有名な曽我十郎・五郎兄弟*2を祀っているのかと思ったら奈良の宗我都彦神社の分社らしい。しかも武内宿禰*3を祀っていた神社の境内にあったと書いてあるので大和時代の豪族・蘇我氏とも関係あるのか?*4







参道の下まで戻ったら曽我兄弟の墓がある城前寺へ。梅の時期だけなのか城前寺茶屋という屋台も境内にあったが、平日の夕方ということもあって全て店じまいしていた。

境内にある幼稚園の壁にも曽我兄弟!
ここから山に入って1km歩いたところに曽我兄弟の養父・曽我祐信の墓があるのだが、すでに夕方ということもあって断念して駅へ向かい、




そこから松田→新松田と移動して小田急で帰る。時間はかかるものの、乗り換えが代々木上原1ヶ所で済むから小田急は楽でいいね。
振り返ってみると曽我梅林というより曽我兄弟に関する史跡巡りがメインになった感もあるが、もともと平安時代末期から鎌倉時代にかけての関東の武士団は今年調べてみようと思っていたテーマだったので当然の結果なのかも。せっかく湯河原に頻繁に行ってるのだから次は土肥実平か?

*1:id:tokagex:20080302#1205080551

*2:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BE%E6%88%91%E5%85%84%E5%BC%9F

*3:景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5代の天皇に仕え、300歳まで生きていたといわれている人物。戦前の一円札の肖像に描かれていた。

*4:蘇我氏武内宿禰の子孫を名乗っていた