Destination Nagano 2010(2日目・後編)

飯田でも旅行貯金をやってみる



元善光寺から電車に数分乗って飯田に到着。駅に併設されてる観光案内所で飯田市内のガイドマップをもらってから向かった先は、コインランドリー。
だって駒ヶ根で洗濯できなかったし、今日泊まるところで洗濯機を貸してくれるかも分からないし、何より荷物を減らすために着替えを2回分しか持ってこなかったから。

とりあえず洗濯して、乾燥機に移せるまで30分程度。ちょうど昼時で、これだけの時間で食事を済ませるのも難しいと判断して、近くの飯田郵便局へ記帳に行ったり、アピタで中日の応援感謝セールを覗いたり。
それにしても飯田は駅周辺の大型スーパーがアピタだったり、中日新聞の支局があったりと、今まで訪れた長野県の町と違い東京より名古屋を向いている印象。やっぱり中日ファンも多いのだろうか?落合信子の出身地でもあるし。
洗濯が終わったら今度は乾燥機に服を入れて20分。今度はさらに時間が少ないので、ガイドマップを読んだり、携帯からTwitterを見たり、ポメラで乗車記録をつけたり。そうしているうちに乾燥が終わったので食事に向かうことに。

飯田のシンボル・りんご並木と裏界線を歩く


洗濯物の乾燥待ちの間に飯田駅に併設されている観光案内所でもらったパンフレットを読んで下伊那ご当地グルメ・五平餅定食を食べようと決めてりんご並木を通って川本喜八郎人形美術館の中にある「そば処 おにひら 飯田店」へ。

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三人前の「おにひら」が気になるものの、五平餅定食を注文。
食後は川本喜八郎人形美術館ではなく、外へ。飯田のシンボル・りんご並木と同じく昭和22年の大火の後に誕生した路地・裏界線を歩く。


こういう路地はゾクゾクして楽しい。





できる限り裏界線を使って飯田知久町郵便局と飯田馬場郵便局で記帳したり、大平宿の写真を見たりしてから飯田駅へ。

信南交通で稜線の彼方へ



飯田駅前のバス停で高校生の帰宅の列に混じって並ぶと他の路線バスより一回り小さいバスがやってきた。この大きさと1日3本という本数がこれから向かう遠山郷への流動の少なさを端的に示している。
バスは立ち客も出た状態で出発したものの、途中の病院でまとまった乗降があった他は少しずつ減っていき、天竜川を挟んで隣の喬木村に入ったときにはすでに乗客は座席が埋まる程度。
喬木村の途中から睡魔が襲ってきて、伊那山地越えのトンネル、遠山郷に入って上町集落と断続的に目が覚めて、飯田駅から約2時間かかって終点の和田バス停に到着。しかし、1万円札しか持っていなかったのでバス停前の電器屋で電池を買ってようやくバス代を支払う。終点でよかったとしか言いようがない状況。

遠山郷「民宿なかい」で歴史の勉強とか


飯田からのバスの終点、和田バス停からは道なりに歩いて今日の宿泊先・民宿なかいに投宿。
部屋に荷物を置いて風呂→土木作業員に囲まれて食事。同じ日に土木作業員が一緒だったからか、食事の量が多かった。
食後、国土地理院発行の25000分の1の地形図とボールペンを持って民宿の主人と明日の行程について相談。ルート選定から行き帰りの注意点までアドバイスをもらう。実にありがたい。

部屋に戻る前に本棚で南信濃村発足30周年記念誌「写真でつづるみなみしなの-歴史と現在」を借りて読んでみる。旧南信濃村を中心とした遠山郷の歴史がかかれている。気になったところは下記の点。

  • 遠山という名前は古代・中世の荘園の名前になっていて、範囲は現在の遠山郷から岐阜県は恵那・岩村に至る広大さ。
  • 戦国時代から江戸時代初期にかけて遠山郷の領主だった遠山氏は元をたどれば岩村城主の遠山氏と同族だった。
  • 明治時代になって遠山郷の材木に王子製紙が目を着け、民有林の伐採を始めた。遠山郷が最も栄えたのもこの頃。
  • 遠山郷の北端にある程野集落と元善光寺駅の間に索道があったが、赤字続きのため数年で廃止された。

本棚に返してから22時過ぎには布団の中へ。昨日までとはうって変わって健康的な時間に就寝。