snoozerと僕。 - snoozer休刊に寄せて

snoozer49号

来るべき次号、6月18日発売号をもって、雑誌『スヌーザー』は終わります。これまで本誌を支えてくださった皆さん、本当にどうもありがとう。報告がこんな風にあまりに唐突になってしまったこと、お詫びします。実のところ、随分前から、このことは決めていました。ただ、とにかくすぱっと報告して、すぱっと終わらせたかったんです。ごめんなさい。おそらく終刊の理由については、いろんな憶測が飛ぶことと思います。端的に本音を言えば、その理由はこうなります。飽きたから。ただ、それではこれまで本誌を愛してくれた皆さんに対して、あまりに失礼なので、こうしてキーボードを叩いています。

音楽雑誌「snoozer」に関するたいせつなおしらせ ― リトルモア

僕が学生の頃から社会人1年目まで定期購読してた*1snoozerが休刊する。好きなバンドが解散するのと同じショックだ。
この本を最初に知ったのはネットデビューをして間もない2001年、僕がよく出入りしていたサイトをやってた人にsnoozer読者が多く、それまで邦楽ばかり聴いていて主にJAPANと「音楽と人」を読んでいた僕もだんだんと気になるようになってきた。それから洋楽を聴く量が増えていき、BUZZが休刊した頃に洋楽、邦楽とも優劣をつけず扱っていたsnoozerの構成が自分の音楽の聴き方に合っていて、それから毎号、少ないバイト代を捻りだして買い始めた。編集長のタナソウや唐沢真佐子の発言だけでなく、平気で発売日が遅れたり、バイトが逃げ出すことを書いたりと、とんでもない雑誌で、そんなところが気に入って、JAPANやロキノンを物足りないと思うほどだった。学生最後の年になって音楽の情報源でsnoozer以外の占める割合が高くなって、聴く音楽がsnoozerに載っているものと徐々にかけ離れていくようになっても、社会人1年目で雑誌を読むどころではなくなって1ヶ月積んでしまうことがあっても読み続けてた。でも失業と同時に読まなくなってしまい、再就職してからも買ったのはRadioheadの来日公演レポが載った号くらい。読まなくなったのがちょうど25歳、snoozerのターゲット層「すべてのブルーにこんがらがった少年少女」からかけ離れた年齢になっていたので、自然と卒業していったのかもしれない。
僕の聴く音楽の方向性を決めた雑誌だから、その後もどこかで気になっていて、Twitterを始めてからタナソウや唐沢真佐子をフォローしていた程。
snoozer的な音楽の聴き方をしていた者として最後のディスクガイドは買おうと思う。できれば数年に1回は出して、今までのsnoozerと同じように高校生、大学生をロックに引きずり込んでほしいと願っている。

*1:定期購読といってもタワレコでCDやSTUDIO VOICEと一緒に買ってた。